「入管収容施設における医療体制の強化に関する提言」に対する見解

2022年2月28日、有識者会議が「入管施設における医療体制の強化に関する提言」(以下、「提言」)をまとめた。この「有識者」たちは、「我々は、本有識者会議立ち上げの契機となった名古屋局におけるスリランカ人被収容者の死亡事案のような事案を二度と起こさせないとの目的を果たすため、必要な方策を真摯に議論した。」(「提言 本分」23 ページ)と自負しているようだが、提言の内容はまったく的外れなものである。

1. ウィシュマさんの死は医療体制の不備によるものなのか。

「提言」では、常勤・非常勤の医師など医療従事者の確保による庁内診療体制の強化、外部医療機関との連携体制の構築・強化、医療用機器の整備などの必要性を述べている。しかし、そもそも、ウィシュマさんの死は医療体制の不備によるものだったといえるのだろうか。

われわれ支援者が把握している経緯からみても、また入管庁による調査報告書であきらかにされた経緯からみてさえ、ウィシュマさんの死亡をたんに医療体制の不備によるものと理解することはできない。というのも、当時の医療体制のもとですら、ウィシュマさんの命を救えたはずの機会はいくつもあったからだ。

 早期に仮放免していれば、ウィシュマさんは死なずにすんだ。あるいは、本人や支援者が再三求めていた点滴治療をおこなっていれば、また遅くとも、亡くなる少し前に救急車を呼んで病院に搬送していれば、彼女が命を落とすことはなかっただろう。

 ところが、名古屋入管はいずれの措置もとらなかった。それはなぜかということこそ問うべきなのに、有識者会議はこの点にまったくふれようとしない。

名古屋入管がウィシュマさんを死なせないために当時の医療体制のもとでも十分に可能だったはずの措置をとらなかったのは、どうしてなのか。それは、収容の継続に名古屋入管が固執したからにほかならない。人命よりも、収容継続を、また収容を通じてウィシュマさんを帰国へと追い込むことを優先させた結果、入管はウィシュマさんを死にいたらしめてしまったのである。

 法務省入国管理局局長(当時)は2015年から16年にかけて以下3通の通知を、全国各地の収容施設に対して発している。

 

(1)2015年9月18日「退去強制令書により収容する者の仮放免措置に係る運用と動静監視について(通達)」

(2)2016年4月7日「安全・安心な社会の実現のための取組について(通知)」

(3)2016年9月28日「被退去強制令書発付者に対する仮放免措置に係る運用と動静監視の徹底について(通知)」

 

 (1)は仮放免許可の厳格化と仮放免者の再収容強化を指示したもの。

(2)は「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」によって「我が国社会に不安を与える外国人の効率的・効果的な排除」に取り組めと指示したもの。

(3)は、(1)について徹底せよとあらためて指示したものである。

 つまりは、被収容者が「送還忌避」する気をおこさないような劣悪な処遇のもとで、長期間の収容(監禁)をおこなうことで、出国へ追い込めという指示を、法務省入管のトップが出していたのである。

 昨年3月5日(奇しくもウィシュマさんが亡くなる前日である)には、上川陽子法務大臣(当時)が閣議後記者会見で、収容の目的が「送還忌避」をさせないこと、つまり被収容者の心身に苦痛を与え帰国を強要するためであることを事実上認める発言をしている。

 

「2点目の収容期間の上限を設けるということについてでありますが,収容期間の上限を設けますと,送還をかたくなに忌避し,収容期間の上限を経過した者全員の収容を解かざるを得なくなるということになります。また,収容を解かれることを期待しての送還忌避を誘発するおそれもあるということでありまして,適当ではないと考えたところでございます。」(http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00177.html )

 

 

 このような方針のもとで、入管施設の医療が収容・送還といった退去強制業務に従属しているということこそが、ウィシュマさん死亡事件の本質ではないだろうか。

 「入管は被収容者の生命を尊重しようとしたが、医療体制が不十分だったためにウィシュマさんが亡くなった」のではない。被収容者の生命よりも収容・送還の執行を優先する方針のもとで、ウィシュマさんは「医療放置」「医療ネグレクト」によって見殺しにされたのである。こうした方針が改められることなく、「医療体制」が「強化」されたところで、ウィシュマさんのように入管の医療放置により命を落とす犠牲者は今後もなくなることはないであろう。

 ウィシュマさん事件は、決して「医療体制」の問題ではない。名古屋入管の現場職員の問題にもとどまりません。上記の方針のもとで退去強制業務をすすめてきた政府・与党および入管庁(旧法務省入国管理局)幹部の責任が問われるべき問題である。ところが、「提言」は「医療体制」に問題を矮小化することで、これらの責任をごまかしている。

 有識者会議は「提言」をまとめるにあたって、入管施設の常勤医へのヒアリングや医師ふくむ医療従事者へのアンケートを通じて、入管施設における医療には一般の医療機関のものと異なる特殊性・困難性があるのだということを述べている。

 入管施設においては、医師の判断・指示に従わない被収容者や拒食や自傷行為をする被収容者がおり、こうしたことが常勤・非常勤の医師の確保を困難にする一因となっているのだという理屈である。

ところが、これら「困難な対応を伴う被収容者」の存在は、「提言」では、医師ら医療従事者の側の視点からの「困難」としてのみとらえられ、被収容者がどうしてそうした行動をとらざるを得なくなるのかという点は考察されない。それは、「提言」をまとめるプロセスにおいて、ヒアリングやアンケートがもっぱら医師ら医療従事者に対してのみおこなわれ、被収容者や収容経験者、また支援者らの意見を聞く機会は一切もうけられなかったのだから当然の結果である。「提言」は、医療を受ける肝心の当事者ぬきに、医師らの意見や入管庁担当者の説明を聞き、また入管職員の案内のもとでの入管施設の視察をつうじてまとめられたものにすぎず、この「有識者会議」なるものが茶番というべきである。

 このように報告書作成の過程が茶番としか言いようのない「提言」は、その内容においても空疎である。

 1に述べたように、医療が入管の退去強制業務に従属しているというところに、入管施設の医療の根本的な問題がある。入管医療は、被収容者が収容に耐えられる健康状態を維持するためにおこなわれているのであり、そこに医療としての限界がある。それは、入管施設の医者は収容継続の正当化の手段になっているということであり、また、治療は対症療法にとどまるということである。入管医療は、病気の原因を突き止めるための診察をし、そのもとで診断を下し、病気を治すために治療するという医療ではない。入管医療者は「とりあえず薬を投与して様子をみる」というように、対症療法で様子を見る診療に終始する。

 患者としての被収容者は病気を治したいとの思いから、医師の倫理を信じ、医師が誠実に診療してくれることを期待して受診する。しかし、入管医療は患者の期待に反し、制約された医療がなされる。このような条件において、医師と患者のあいだの信頼関係は成立しえない。

 こうした入管医療の実態は、被収容者当事者に話を聞けばすぐに明らかになるものだが、有識者会議はそうした労力をとることはせず、信頼関係の成立しがたさを、「困難な対応を伴う被収容者」などと言ってもっぱら被収容者の側に転嫁している。

 このように、有識者会議の「提言」は、入管医療の問題の原因を一方的に被収容者に押しつけ、この点でも入管の責任をごまかし、すりかえに終始しているといえる。

2.患者である被収容者の視点が欠如

結語

 以上みてきたように、「提言」は、ウィシュマさんのような犠牲者をこれ以上出さないためになんの役にも立たないという点で無益であり、ウィシュマさんの命を奪った入管庁の責任をごまかそうというものである点では有害ですらある。

※参考

「入管収容施設における医療体制の強化に関する提言」の概要と本文は、それぞれ以下のリンクからご覧頂けます。 

 

概要 https://www.moj.go.jp/isa/content/001367144.pdf

本文 https://www.moj.go.jp/isa/content/001367145.pdf

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