2021年3月6日、名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなりました。ウィシュマさんが亡くなり、今日で2年が経ちます。
ウィシュマさんは、もともとスリランカで子どもたちに英語を教えており、日本の子どもたちにも英語を教えたいという夢をもって、2017年、留学生として日本に来ました。
2022年6月8日のウィシュマさん死亡事件国賠訴訟第1回口頭弁論の意見陳述で、ウィシュマさんの妹であるワヨミさんは、ウィシュマさんや、ウィシュマさんを日本へ送り出したときのことを話してくれています。
「母にとって、姉は頼りになる長女でした。父が早く亡くなりましたので、母は、私たちの世話をを姉に任せて、外で働きました。母と姉は『戦友』のようなものでした。私とポールニマが大人になって、姉が『留学したい』と言い始めたとき、母は最初、反対しました。大切な娘を外国に行かせるのが心配でしたし、留学には、お金がとてもかかったからです。けれども、母は、姉の熱意に負けました。それに、ずっと私とポールニマの世話をしてくれた姉に、本当に好きなことをさせてやりたかった。姉が日本で夢をかなえることが、私たち家族にとっても、夢になりました。母は『日本なら、安全な国だから大丈夫だね』と言いました。私たちは自宅を担保にお金を借りて、姉の学費を作り、姉を日本に送り出しました。覚えています。2017年6月、母とポールニマと、皆で、KATUNAYAKAの空港まで送りに行きました。寂しかったけど、姉の太陽のような笑顔を見ているうちに、私も、いつか、姉を訪ねて日本に行ってみたいと思いました。そのころにはきっと、姉は、日本で勉強を終えて、日本でも学校の先生になっているのだろう、日本の子どもたちに英語を教えているのだろうと思いました。あの頃、未来は明るかったのです。」
なぜ、留学生として日本に来たウィシュマさんが、入管の外国人収容施設で亡くなってしまうのでしょうか。
ウィシュマさんが収容されていたときに、彼女に面会していた支援団体のSTART~外国人労働者・難民と共に歩む会~の、ウィシュマさんとの面会などの記録を一部載せたいと思います。
面会記録の全文はこちらから
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2020年12月9日(水) (面会)
・2020年8月20日、名古屋入管に収容された。
・2017年6月29日、成田市の日本語学校に通うために来日。
・日本語を勉強して日本の子どもたちに英語を教えたい。
・家族からの仕送りが途絶え、学費を稼ごうとしたが間に合わず、留学生の資格を失った。⇒オーバーステイになる。
・その後、千葉県、静岡県に移り住む。
・スリランカにいる母親とは連絡がとれないため、今はどうすることもできない。
(この時、ウィシュマさんの状況は元気そうでした。)
2020年12月16日(水)(面会)
・スリランカで大学を卒業し、先生として子供たちに英語を教えていた。
・来日して2か月後にスリランカ国籍の男性と知り合い同棲(約3年半)。最初は優しかったが、その後、暴力をふるうようになった。銀行通帳やカードも取られた。
・2020年8月頃、千葉県から静岡県にきて生活していたが、男性のDVから逃れるために警察に助けを求めた。そのためにオーバーステイが発覚する。男性は警察に捕まった。
・帰国同意書にサインをした。しかし、「日本は良い国だから日本に残りたい」、「国に帰りたくない」、「日本の子供たちに英語を教えたい」。「お金ないし、日本に頼れる人いない。」「家族とも2年半話してない。」
・STARTが支援すると伝えると、彼女は日本に残れると喜んでいた。
・同棲していた男性から、名古屋入管に収容されていたウィシュマさんのところに2回手紙が届いた。その手紙には、男性が、彼女の生活状態を気遣う言葉が書かれていたが、彼女が男性のことを警察に通報したことについて恨んでいて、「スリランカに帰ったら私を捜し出して殺す(原文は「罰を与える」)と手紙に書いてある。」と、ウィシュマさんは話していた。
・ウィシュマさんが入管に提出した意見書の写しを受けとる。
⇒彼女が入管に自分のパスポートについて尋ね、入管にはないことが判明、入管のコロナ対策の実態について、批判するような内容が書かれていた。Director(名古屋入管局長を指す)に訴える、言わば告発文のような意見書。
2020年12月17日(木)(電話)
・夜8時ごろ、STARTにウィシュマさんから電話が入る。
「(スリランカに)帰らない、日本に残る、と職員に伝えたら、職員から、帰れ、帰れ、ムリヤリ帰される、と言われた。職員が何度も部屋に来た。怖くなった。明日チケット担当が部屋に来る。面会に来てほしい。」
2020年12月18日(金)(面会)
・職員に、仮放免許可申請書が欲しいと言って、書類をもらい、自分で書けるところを書いて、それができたらSTARTに連絡することを約束した。
2020年12月23日(水)(面会)
・仮放免許可申請のことと仮放免で外に出た時のことを心配していた。
・以前「ムリヤリ帰す」と言われたが、今は言ってこない。
⇒ウィシュマさんは、STARTが支援しているから、職員は何も言わなくなった、と言っていた。
・薬を飲みたくない、元気だから大丈夫。
2020年12月25日(木)(面会)
・1回目の仮放免許可申請理由書を預かる。
⇒申請理由として、男性から暴力を受けたことや、手紙で脅されていてスリランカに帰ることが危ないこと、入管の中にいるとストレスが溜まること、収容施設から外に出て安心して生活したい等、書かれていた。
⇒2021年1月4日、1回目の仮放免許可申請書が入管に受理される。
2021年1月6日(水)(面会)
※他の被収容者と同時面会
・職員からまた「ムリヤリ帰すことができる」と言われた。
2021年1月10日(火)(手紙)
・12月25日(金)、食べ物とコーラをたくさん飲んで、発熱したため、3日間、別の部屋に移されたこと、また1日は(も)シャワー浴びられなかったことが書かれている。
2021年1月13日(水)(面会)
・仮放免許可申請のための書類はすべて出し終えた。
・(局内の)コンビニで買い物をすると、商品を倉庫から配達する人が6階まで注文を受けたものを持ってきて、消毒をすることもなく自分たち(被収容者)の手に渡る。
⇒商品と一緒にコロナウィルスを持ってきてしまうのではないかと心配していた。
・面会者が外から入管に書類などを差し入れする時は、2日間経ってから被収容者に渡されるのに、局内のコンビニで買い物したものについては同じように対応しないのはおかしいと職員に言った。
⇒職員に言ったことでみんなが買い物できなくなってしまうかもしれない、と心配していた。
・同じ区画にいた他の被収容者が37.5度の熱があったときに、脇のところを濡れたタオルで拭いて、体温を下げさせてから、また測るようにさせられていた。
・シャワーできない。
2021年1月18日(月)(手紙)
・日本人は食べ物を無駄にしない習慣があるけど、入管のなかではそれが難しい。ご飯を食べるのが難しかったり、栄養が偏っていて、自分の健康にも合わなかったりする。
・12.5㎏くらい痩せている。本当に今食べたい。
2021年1月20日(水)(面会)
・先週、コロナのことや長期収容のことで手紙を書いて、入管の意見箱に提出した。
・入管にきてから12.5㎏くらい体重が減った。ご飯や水を少ししかとれない。
・のどに髪の毛が絡まっているような感じがある。
・前よりも髪の毛が抜ける。
・ナース(入管の看護師)からは、適度な運動や胃のマッサージをすることと、
ご飯を少しずつ食べるようにと言われた。
⇒このとき、看護師に外の病院に行くのは遅くてもいいと言ってしまった。
2021年1月24日(日)(手紙)
・私まだ元気ないけど、血液検査をやると入管に言われた。
検査で何か悪いものが見つかったら、たぶん外の病院に行く予定がある。外の病院の医者がくると言われた。月曜日(2021/01/25)に医者が来て、心臓の検査のアプリケーションを全部書いたから、全部(検査)やってあげると言われた。ここ(入管)にいるナース(看護師)さんは、あなた(支援者)と一緒くらいやさしい。
2021年1月27日(水)(面会)
・2020年11月ころ、肺のレントゲン検査をした。
・局内の医務局で、心電図を撮り、血液検査、尿検査を受けた。明日、結果が出る。
・夜、足がとても痛い。湿布を貼って寝ている。お腹から(胃液が)上がってくる感じ。舌や下唇が痺れる。
2021年1月28日(木)(電話)
・夜9時前、STARTに電話が入る。「吐いて、血が混じっていた。死にそう。」
2021年1月29日(金)(面会)
・1月28日、27日の検査結果について「問題ない」と言われた。
・晩御飯にカレーを食べた後、夜9時ごろに嘔吐・吐血する。
・入管職員から「迷惑だから」と、単独室に移されると告知。(1月31日に移動)
・めまい、胸がどきどきする、手足が痺れる、下半身が重くて動かない。
・この時点で処方されていた薬はビタミン剤(メコバラミン錠500トーワ0.5㎎)とロキソニン。ウィシュマさんはビタミン剤のみ服用。
2021年2月2日(火)(はがき)
・全然大丈夫じゃない。2週間前から大丈夫じゃない。食べられない、飲めない。全部体が痺れている。彼ら(入管の職員)は私にストレスがあると教えてくれる。この人たちは、私が自分(入管)の収容施設にいるから、外の病院に連れて行ってくれない。回復させたいけどどうすればいい?助けてください。食べないといけないけど、ご飯も水も吐いてしまう。すぐに助けてください。迷惑かけたくないけど、私は大丈夫じゃない。伝えようか迷ったけど、他に私を気にかけてくれる人がいないので伝えた。
2021年2月3日(水)(面会)
・車いすで面会室に来る。
・食べても吐いてしまう、食べられない。薬も水も飲んでも戻す、歩けないと訴えていた。
・吐いたものは、担当さん(入管職員)が掃除してくれた。
・日曜日(1月31日)から、歯がとても痛い、頭が痛い、おなかが痛い。
・面会中に吐きそうになり、口を押えて我慢していたため、途中で面会を中止した。
2021年2月5日(金)(面会中止)
・職員から、本人が起きてこないと伝えられ、面会中止。
2021年2月8日(月)(面会)
・二人(職員とガードマン)に両脇を抱えられて面会室に入って来る、椅子に座ろうとした時、よろけて倒れそうになる。面会中に吐く。
・2月5日に外の病院に行って、胃カメラの検査をした。通訳はいた。
・また体重が減って、入管にきてから15.5㎏減った。
・痺れが体中に出ている、夜には熱(体温)が37.7℃、朝は37.6℃まで上がった。
・担当職員がうるさい。
・部屋が替わって、新しい毛布を使うことができたが、歩けないので取りに行けない。職員は持ってきてくれない。
同日(処遇部門に要請)
・外部の病院で行った内視鏡検査の結果は、胃の中にいくつか糜爛(ただれ)があるが、「重篤な状態ではない。」(処遇職員の発言) 点滴を打つことについても話があったが、「長い時間がかかる」ということで、入管側は「入院と同じ状態になるので」、点滴をうたずにウィシュマさんを入管に連れ帰った(処遇部門の職員から聴き取った話)。
・入院させ、点滴を打つことを要請。
同日(はがき)
・5日に面会行けなくてごめんなさい。体調が悪かった。いつも面会があるときに、叫ぶ女性(職員)がいて、彼女は普段間違った情報をくれるから、彼女の言ったことを気にしないようにしている。
・病院に行って検査をした。胃カメラの検査で「normal(正常)」と言われたが、私は大丈夫じゃない。
2021年2月9日(火)(面会)
・車いすに乗って面会室に来た。バケツを抱えていた。
・今日の10時過ぎ、トイレに行きたくて職員を呼んだけど、職員は部屋の中に入らないで、ドアのところに立ったまま「一人でやって」と言った。職員は助けてくれなかった。
・仕方なく自分で立ち上がって歩こうとして、転んでしまい、左脇腹や左腕、右肘
を強く打ってしまった。
・自分で起き上がることができなかったので、そのまま床に倒れていた。
⇒女性(女性ブロックの大部屋に収容されている人)がきて、私を抱き起してくれた。
・シャワーにもトイレにも行けない。
・おかゆを食べているが、スプーンが欲しかったのに、職員からフォークを渡された。
・ご飯のおかずは脂っぽいものが多いし、柔らかくない、ご飯は臭いし冷たい。
・唇が渇くので薬がほしいと職員に言ったら、「自分で買って」と言われた。
でも、注文の紙を持ってきてくれない。
・朝9時の点呼のときは、体が動かなくても、職員から「座って」と言われる。
・ナース(看護師)が一度部屋に来た。
・点滴をやってほしいと言っている。
2021年2月10日(水)(面会)
・昨日の夜37.0度、朝37.2度だった
・胃がねじれるように痛い。体中痺れがある。
・昨日、車いすでシャワーに行った。今日の朝、部屋の掃除をやった。
・職員は毛布2枚を交換してくれない。
(単独室に移った時に、毛布を2枚交換することができたが、ウィシュマさんは自分で毛布を持って来ることができなかったため、新しい毛布に交換することができず、古い毛布を使い続けていた。)
・水を飲んでも吐いてしまうけど、OS-1(経口補水液)は戻さない。だから、OS-1で薬を飲んだ。
・ゆで卵、りんご、洋ナシが欲しいと話していた。
同日、面会後、処遇部門と審判部門に口頭で申し入れ
⇒支援者からは、1月ごろから入院、点滴を要求していたが、入管側はそれに応えなかった。この時も「経口補水液をあげているから大丈夫」、「熱が続くようであれば対応する」と言っていた。
審判部門にも、入院、点滴が必要であると訴え、入院させないならすぐに仮放免するように申し入れた。
2021年2月12日(金)(面会)
・バケツを持って、車いすに乗って面会室に来る。面会中に何度も嘔吐。
・目がうつろで話しているときも焦点が定まらない
・水を飲めない、経口補水液を飲むことしかできない。1日に600mlしかもらえず、私が欲しいと言っても職員は渡してくれない。
⇒職員が私をトイレに行かせないためだ、と話していた。
・職員からご飯を「食べて」と言われるが、それもできない。
・37.5℃以上の熱がある。体が石みたい。
・ロッカーまで物を取りに行けない。夜、職員を呼んでも来てくれない。
・ナース(入管の看護師)から、「外の病院に連れていってもらえるように言っておく」と言われた。
2021年2月17日(水)(面会)
・2月16日、局内の医務室に行く。
⇒通訳がいなかったため、診察内容がはっきり伝わらなかった。
このときは整形外科医が来ていて、足の具合を診察したが、本人は食べられないことを訴えていた。ウィシュマさんが「病気だ」と言ったら、職員は「他の医者に診てもらった方がいい」「病気じゃない」「入院させない」と言うと、それを聞いた医師は驚いていた。職員は「コロナだから入院できない」と言っていた。
・面会の最中、タオルがないので、Tシャツで口を拭っていた。
・16日、1回目の仮放免許可申請がダメ(不許可)と言われた。「病院に行けない」と、職員からうるさく言われた。「帰るサインをしたら、病院に行かせてあげる」と言われた。検査したら嘘かどうかわかる。
・職員から「目が元気だから元気だ」と言われた。
・職員は、外に出るために、私がずっと嘘をついている(演技をしている)と思っている。だれも私を信用していない。
・歩けないのにリハビリだから「歩け」と言われている。トイレに行こうとしたが、倒れてシンクに左脇腹を打ってしまった。職員を呼んでも助けてくれなかった。
・呼吸ができない、胸が苦しい。
・昨日、すごく頭が痛かった。男の職員から「帰れ、帰れ」と言われた。
・ご飯が食べられない。
・OS-1も吐いてしまう。
・水が置いてあるところまで歩けない。
・字を書けない、手がうまく動かせない。
・同じ区画の被収容者に、髪の毛を切ってもらった。
2021年2月19日(金)(面会)
※ウィシュマさんと面会する直前に、入管職員からウィシュマさんの状態について話があった。
⇒ウィシュマさんは嘔吐しているが、菓子パンを食べ、コーラを飲んでいる。
トイレに行くとき転んでしまい足を痛めた。今後、神経内科に行かせることや、入院して点滴を打てるようにすることも検討しないといけない。(この発言が、職員の個人的見解か処遇部門の見解かは不明。)
・菓子パンや炭酸飲料を食べたり飲んだりしているが、結局吐いてしまう。
・トイレはベッドの横にあるが、移動するときに何度か転んでしまい足が痛い。
・体温は昨日の夜が36.9℃、今朝は37.2℃で普段よりは下がっている。
・16日に仮放免許可申請が不許可になったため、2回目の仮放免許可申請書類を 差し入れする。申請理由は、嘔吐を繰り返しており、状態が悪化している。早急に外部の病院で点滴治療を行うため。
2021年2月22日(月)(面会)
・入管にきてから20㎏やせたと話す。
・今日、局内の病院(医務局)に行く。
2021年2月24日(水)(面会中止)
・職員から、本人が体調が悪いから面会できない、と言ったと伝えられ、面会中止。
2021年2月26日(金)(面会)
・まだ病院が決まっていない。
・ナース(看護師)が来て、手足のマッサージをしてくれた。
・おかゆを少し食べた。
・トイレに行けない、お腹が痛い、口から血が出る。床に転んでそのまま寝た。
寒かった。
・シャワーしてない。
2021年3月3日(水)(面会)
・頭がいっぱい痺れる、手足がちゃんと動かない。転んで(顔の右側のおでこを指して)床にぶつけて痛い。
・耳の中で電車が走るような感じ。首が痛い。めまいがする。
脈拍が64。夜、熱が37℃。
・夜は職員が来ない。別の仕事があるから行けないと言われた。
・水も飲めない、食べられない、トイレに行けない。
・朝おかゆを食べた。OS-1も飲んだ。今は戻さなくなった。これから頑張って食べる。
・洗濯用の洗剤と柔らかい歯ブラシがほしい。
・外の病院にいつ行くかはわからない。
・面会室を出る間際に、「今日、連れて帰って」と言っていた。
・面会した時の状態として、今回はマスクをしていなかった(マスクをしていると、呼吸が苦しいからではないかと推測。)。目がくぼんでいて皮膚に張りがない。唇が半分黒くなっていて、荒れている。口元に唾液がたまっていて、話すと泡になる。泡を吹いているように見える。車いすに寄りかかっていて、上体を動かせない。腕を伸ばすことができず、指も伸ばせない状態。頭から上着を被っていて、異様な雰囲気だった。
面会後、処遇部門に申し入れ
・このままでは死んでしまう。すぐに入院させて点滴を打ってもらいたい。
これに対して、職員は「予定は決まっている」と答えるのみ。
2021年3月5日(金)(面会中止)
・職員から、本人に声をかけたが「動けない」と言っていて、面会室に来られない。
洗剤と歯ブラシの差し入れは受け取ると言っていた、と報告され、面会は中止。
2021年3 月6日(土)
・午後 2 時 5 分ごろ見回り中の職員の呼びかけに反応なし。脈拍とれず。緊急搬送された病院で午後 3 時 25 分に死亡。
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入管庁が一部開示したウィシュマさんが収容されていた部屋の監視カメラの映像には、ウィシュマさんが職員に点滴を求める様子がうつっていました。面会記録にあるように、ウィシュマさんからも支援者から名古屋入管に、何度も、点滴や入院、仮放免を求めていました。ウィシュマさんを救うタイミングは、いくらでもあったのです。名古屋入管が目の前で苦しむウィシュマさんを救うために行動していれば、点滴を打っていれば、入院させていれば救えたはずです。しかし、名古屋入管は最後まで支援者の訴えにも「大丈夫」と言うだけで、生きるために最後まで闘っていたウィシュマさんを見殺しにしました。
ウィシュマさんの死から2年が経ちましたが、いまだ監視カメラの全面的な開示を法務省ー入管庁は拒み、ご遺族が望む真相の解明は実現されていません。真相解明がされないなかで、ウィシュマさん死亡事件について、いまだれも責任をとっていません。
ウィシュマさんのご遺族は、唯一の家族を失った悲しみ、苦しみなかにあっても、2度と、ウィシュマさんと同じ目にあう人がうまれないようにと、日本に暮らす外国人、日本社会のために、再発防止を求めて声をあげ、責任逃れを続ける国、法務省ー入管庁と闘っています。
わたしたち入管闘争市民連合は、ご遺族の切実な要求を必ず実現するため、わたしたちが暮らす日本社会で2度と同じことを繰り返さないため、入管の差別や人権侵害に反対し、今後もご遺族とともに声をあげ、闘っていきます。
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