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【入管闘争市民連合パンフレット「なぜ入管で人が死ぬのか」連載⑤】

更新日:2023年2月24日

2.「送還忌避者」問題


収容長期化は「送還忌避者」のせい?

入管は長期収容問題をめぐって「送還忌避者」という用語をよく使います。外国人の命よりも送還が大事だという入管の異常な姿勢を理解するうえで、この言葉がキーワードになります。

政府は、「送還忌避者」という用語の定義を国会答弁でつぎのように説明しています。


   お尋ねの「送還忌避者」については、法令上の用語ではないが、出入国管理の実務上、退去強制令書の発付を

  受けたにもかかわらず、自らの意思に基づいて、法律上又は事実上の作為・不作為により本邦からの退去を拒ん 

  でいる者を指して用いている。

   (福島みずほ参議院議員の質問趣意書に対する政府答弁2019年12月13日付)


この「送還忌避者」は具体的には、2通りにわけることができます。ひとつは、収容されていて送還を拒んでいる「送還忌避被収容者」。もうひとつは退去強制令書(退令)が出ている(入管が送還の対象にしている)けれど収容を解かれて仮放免になっている「退令仮放免者」です[1]。両者を足したのが「送還忌避者」数の全体ということになります。

近年、入管施設の長期収容が世論の批判をあびて社会問題化していますが、入管は収容が長期化するのはこの「送還忌避者」のせいなのだと言っています。したがって収容長期化問題を解決するためには、送還をやりやすくするよう法律を変える必要がある、というのが入管の主張です。

2019年10月1日、入管庁はAさん餓死事件の調査報告書(「大村入国管理センター被収容者死亡事案に関する調査報告書」)を公表しました。同じ日に山下貴司法務大臣(当時)は、記者会見でつぎのように述べました。


   退去強制令書の発付を受けたにもかかわらず、様々な理由で送還を忌避する者がおり、それらの存在が、迅速

  な送還に対する大きな障害となっているばかりでなく、収容の長期化の大きな要因となっております。

  (2019年10月1日山下貴司法務大臣(当時)記者会見)


こうした認識にもとづいて、やはり同じ10月1日に入管によって有識者らによる「収容・送還に関する専門部会」が設置されました。2021年2月、その提言にもとづき改定入管法案が国会に提出されました。これは難民申請が3回目以降であれば審査の結果を待たずに送還できるようにするとか、送還を拒否する人に刑事罰を科す、さらに監理措置制度を設け、収容から解かれれば監理者が被監理者(収容を解かれた者)の動静を把握し、入管に報告させるという日常的監視体制の構築といった、入管が送還を現行の制度以上に強力に進められるようにするための法案でした。

この「退去強制令書の発付を受けたにもかかわらず、様々な理由で送還を忌避する者」が悪いということを前提とした改悪法案は、世論の大きな反対をよび、2021年5月に政府はその成立を一度は断念しました。しかし、この法案の再提出を政府は今なおねらっているとみられます。


「送還忌避者」はきわめて例外的

さて、政府、あるいは入管は、収容の長期化をまねいているのは「送還忌避者」のせいなのだと主張しているわけですが、本当にそうなのかということを考えてみましょう。その手がかりとして、ひとつグラフを用意しました。「退去強制令書発付件数と被送還者総数の推移」というグラフ(図1)です。


図1 退去強制令書発付件数と被送還者総数の推移


退令発付された人のうち、どれぐらいの人が実際に送還されているのか、たとえば退令発付後3か月で何割送還されたのかとか、6か月後はどうなのかとか、そういう統計があればよいのですが、入管は公表していません。しかたがないので、各年の退令発付件数と送還がおこなわれた件数、これらを5年分、折れ線グラフにして並べてみました。

2つのグラフはほぼ重なっているのがわかります。開きがほとんどありません。年によっては退令発付より送還の件数のほうが多くなっています。入管は退令発付した人のほとんどを送還できているわけです。ちなみに、この5年分の送還件数を退令発付件数で割り算するとだいたい98.9%ぐらい。これが送還達成率だとは単純にはいえないのですが、正確な数字からはそれほどへだたっていないはずです。

ここからわかることが2つあります。ひとつは、「送還忌避者」はきわめて例外的な存在だということです。よほどの帰れない事情のある人が「送還忌避者」になっているということです。もうひとつは、あとで述べるように現在は「送還忌避者」は3000人超いるとされるのですが、この数字は、長年つみあがってのものだということです。短期間で急激に増えたものではないのです。

したがって、「送還忌避者」はどうして増えているのか、3000人にまでなっているのはなぜなのかということは、ある程度の時間幅をとって歴史的にみないとわかりません。こうして3000人をこえるまでになった過程で、政策、入管の制度運用に問題なかったのかということを、これから検討していきます。入管の主張するように送還を拒否するほうにだけ責任があるのだと本当に言えるのか、ということです。


「送還忌避者」急増のきっかけは2010年以前にある

まず、「送還忌避者」というのが、いつから増えだしたのかということをみていきましょう。2つの図を参照します。


図2 「送還忌避者」の推移

(2021年9月に入管庁が福島みずほ参議院議員に開示した資料をもとに、福島事務所が作成したグラフ。)


図3 各年の退令仮放免者数

(入管庁公表の統計より作成)

1つは、「送還忌避者」数の推移という図です(図2)。福島みずほ参議院議員が請求して2021年9月に入管庁が開示した資料です。

もうひとつは、各年の退令仮放免者数という図です(図3)。退令仮放免者というのは、入管は退去強制令書を発付して送還しようとしているけれど当面送還できないということで収容を解かれた人です。送還忌避者、その多くを占めている退令仮放免者が増えるということは、入管の側からみれば送還業務がとどこおっているということを意味します。

どちらのグラフをみても、まず2010年以降に急増しているというところに注目してください。その後、仮放免者数でいうと2015年をピークにその後減少していきます。これは、この時期以降、各地の地方入管局(東京入管、名古屋入管、大阪入管など)が仮放免者をどんどん再収容したからです。「送還忌避者」全体でみると、2015年以降はそれほど減っているわけではありません。

ともかく2010年に仮放免者が急増しだして「送還忌避」の問題が顕在化したということが重要です。最近5,6年の問題ではないのです。2010年にいたる経緯をつかまないと問題の所在は理解できないということです。そういうわけで、2000年代の前半から入管政策の歴史をふりかえっていくことにします。…

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[1]入管の収容には2種類あります。1つは、退去強制手続きにかけられてまだ処分の結論が出ていない人を収容するもの。これは「収容令書にもとづく収容」と呼ばれ、入管は最大60日間の収容が認められています。もう1つは、上記手続きの結果、退去強制処分のくだった人を送還可能のときまで収容するものです。こちらは「退去強制令書にもとづく収容」と呼ばれ、収容期間の上限は定められていません(無期限収容)。前者において認められた仮放免を「収令仮放免」、後者において認められた仮放免を「退令仮放免」といいます。このリーフレットで「仮放免者」といった場合、退令仮放免された人(退令仮放免者)を指すものとします。


(次回 3.2003~2008 年  黙認されていた非正規滞在者、「不法滞在者半減5か年計画」)


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